SNSが作り出した社会に必要なものは人としての交流

アナログからデジタルへ時代は常に移行しています。デジタルな世の中はかつての常識を覆すかのように、非現実的な社会が構成されようとしています。今思えば交流の原点は「手紙を書く」ではなかったでしょうか?

本来アナログでは、対面する人へは会釈の挨拶を行い遠くは離れた相手には手紙を認めるという慣習がありました。書文を目の前に文案を練り、一字一句想いを込めて書き込んだ様子は僕がまだ学生時代の頃だったと想います。
やがて手紙は電話やFAXに様変わりし、相手に物事を伝える時に「迅速」を求め出します。
もちろん必要最低限の事のみを伝えると郵便よりも低コストで相手に物事を伝えることができます。この伝達方法から次に自らの手を使って「書く」よりも美しく、誰でも作成できる術を求め出しました。
ワープロが仕事場を占領し始めたのは僕が社会人になった頃だと記憶しています。ワープロの出現により手紙は相手に物事を伝える時に「質」を求め出します。
それからワープロを扱うキーボードに慣れ親しんできた環境に、GUI環境の開発が激震を呼びます「Windows95」の出現です。誰もが簡単にパソコンを操作出来ると教えられました。インターネットに慣れ親しんできた人々はインターネットを介してFAXを送るという荒技を楽しんでいましたが、ほどなくインターネットメールを多様化し始めます。業務通達もほぼメールで賄う事が増えてきました。車内も社外もメールを扱う事が業務の主力に変わってきます。
手紙は「mail」という名称になり相手に物事を伝える時に「効率」を求め出します。

進化した携帯電話は日を追う毎に小型軽量化され、電話の受け答えのみならずメールを簡単に送る事が出来「写メ」などの写真を手軽に離れた方々へ伝達することも可能となりました。また携帯を使って伝達する文章には「絵文字」などが多様化されてきます。
携帯電話の進歩により、手紙は相手に物事を伝える時に「偽装」を求め出しました。

インターネット上では、相手に物事を伝える為にフォーマットが幾つも用意され誰でも手軽に文章を作れるようになってきました。簡単な文章であればコピペで充分です。辞典や百科事典もインターネットで調べる事が出来るように変化し、日常生活だけに限らず学習や仕事においてもインターネットツールは欠かす事ができないものとなりました。まさにパソコン全盛期の時代、一人に一台所有しているのは当たり前になりOfficeの顔にもなりました。

やがてiPodの出現により音楽の世界も変化してきます。かつてのウォークマンが全盛期だった国内に音楽をダウンロードして聞くという文化が流行していきます。音楽のダウンロードを携帯電話の着信音に変える趣味思考も増えてきてメールに曲を添えることが可能になりました。MP3プレーヤーの出現により、手紙は相手に物事を伝える時に「感覚」を求め出します。

そしてiPadの出現。iPodやiPhoneでタッチパネルが定着してきました。iPadによりリビングのソファーでインターネットやメール、音楽、動画まで扱えるようになりました。
この流れからも解る通り「手紙を書く」という文化は「迅速」→「質」→「効率」→「偽装」→「感覚」を兼ね備えながら進化していきています。

更に言うならば誰でも一定レベル以上の力で自分を誇張して「書く」事を施せるようになったのです。そこに弊害があります。 それは「誰でも出来るようになった」がキーワードです。

インターネットにより効率化され低コスト化された作業は、画一化されることが条件だったのです。要するに「コンテンツの大量生産」が差別化をなくしてしまった。人が個性を失いつつある現代社会においてデジタルの活性化はそれを後押ししたに過ぎません。その進化により淘汰されていきつつあるのは「人となり」ではないでしょうか?

どんなにデジタルな社会が到来してこようとも、それを扱っているのが「人」である限り「人」としての主張を守って行く事が必要だと思います。facebookにおいても、いいね!・シェア・コピペされたコメントなど人と人の交流が画一化された場面が沢山あります。さらにアプリなどを屈指して自動ツールも多々出現しています。 発展する情報化社会の中で忘れて行けない事、それは「人の心」だと思います。



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